管理組合の存在意義

管理はなぜ重要?

マンションといえば、常に「管理」という言葉がついて回るほど重要とされ、ときに「マンションは管理を買え」とさえ言われます。
そもそも、「マンション管理士」なる専門職が存在するのもこの一つの現れでしょう。
単純に考えても、なぜこれほどまでにマンション管理の重要性が叫ばれるのでしょうか。
最大の要因は、マンションが個人財産の一つでありながらも集団によって組織されるという特殊な所有形態(区分所有概念)の上に成立し、その維持・運営に極めて困難を伴うものであるから、といえます。

まず、所有権という本来自由に使用・収益・処分が可能な権利を有しながら、その維持のためには区分所有という目的のもと逆方向のベクトルに制限を課された人達の集合体により全体の運営を行う必要がある…これが管理の基本的な仕組みです。
個々の資産を第一に考えたいのは山々だが単独ではおよそ不可能、だからこそ皆が互いの協力のもとに行わなくてはそもそも成り立たない…
そんなイメージに置き換えても良いでしょう。

一方で個々の構成員は、当然ながら生まれも育ちも年齢も職業も家族構成も異なり、考え方や生活スタイル、趣味・趣向まで各々でありながら、唯一共通するのが同じマンションを区分所有するという一点のみです。 これが、もし各人の勝手な判断に基づいて自由気ままに運営することを許せば、やがてそのマンションがどうなるかは自明でしょう。
例えば、ペット 飼育が禁止されたマンションのお隣に、ある日突然、複数頭の犬を飼育する人が引越してきて「キヤク?何それ?意味わかんない~」などと言っていたら、その瞬間から絶望的な気持ちになりませんか。 あるいは、「私は偉大なアーティストだ!」などと高らかに宣言し昼夜を問わず楽器を鳴らし続ける住人がいれば、たちまち周辺の居住者の生活すら脅かされるでしょう。

要するに、人間は皆それぞれが全く異質の特性を有する存在ということを前提に、そうであるからこそ、集合体の構成員が互いに近接した空間で快適に暮らすための最低限のルールを皆で定め、それを維持・遵守し、問題が生じればその都度これに則って是正を行う不可欠のシステムを構築すべき…
これが管理の考え方の根底にあるわけです。
そうである以上、マンションにとってこの管理という概念こそ全て、といっても過言ではありません。

管理組合はいつ誕生?

管理組合はいつ誕生?
マンション運営の主体は区分所有者全員で構成される意思決定機関としての管理組合であることはいうまでもないでしょう。
では、この管理組合という組織自体いつ誕生するのでしょうか。
単純に「組合」という言葉から連想するのであれば、皆で集まって管理に関する何らかの取決めを結んで初めて…と考えるのが自然でしょう。

しかし、区分所有法の考え方はこれと異なり、管理組合は複数の区分所有者が生じれば当然に成立する(法3条)、としています。
要するに、二戸目の分譲があった時点からです。
ここでの管理組合のポイントは、複数の区分所有者により自動的に成立する以上、区分所有者間の契約(合意)など全く要せず当然に構成員に組み込まれる強制加入の集団という点です。

規約はなぜ必要?

管理組合への加入が強制であるのに対し、管理規約の設定は任意とされています。
管理規約の存在は、国家で例えるなら憲法のようにそのマンションの根幹をなす存在と思われることから、任意の存在という帰結は意外かもしれませんが、少なくとも区分所有法上ではそう位置付けられています。
では、設定が任意なら規約抜きにマンションの維持・運営が可能かといえば、恐らくそれは限りなく不可能に近いでしょうし、現に規約の存在しない管理組合というのは極めて稀です。

その理由は先述の通り、マンションが様々な特性を有する区分所有者で構成する集合体のもとに成り立っているからです。
人間はその拠り所となるルールのもとで自らの行動を律するという性質を有しています。
居住空間の中でこの規律が全く機能しないのであれば、たちまち各自の自我が炸裂し他者との共存などおよそ不可能となるでしょう。
つまり、マンション運営において管理規約とは、設定自体は任意でも必要不可欠の存在であると断言できます。

トラブルはなぜ起こる?

人は誰しも自らの自律性・独立性を確保・維持しながらも、ときに他者の存在を意識したり許容したりしながら社会生活を営んでいます。
そして、各々の特性や考え方は各自様々に異なるものである以上、そこから意見の相違や衝突が生ずることもまた不可避といえます。
「鶏の鳴き声」という一例で考えても、これを聴いて「風情がある」と感じるポジティブな捉え方もあれば、逆に「うるさい」「眠りの妨げになる」というネガティブな捉え方もあり、考え方・感じ方はそれぞれです。
また、「足音の大きい」特性を有する人の階下に、「音や振動に敏感」な特性を有する住人がいる例で、「フローリングにカーペットを設置して欲しい」と考え折衝を重ねた結果、上階の人に今度は「アレルギー体質でホコリの舞うカーペットはNG」という特性が判明する、という事態も起こり得るわけです。

こうした事柄を全て人の個性の違いと断じてしまえばそれまでですが、マンションという居住場面ではむしろのこの個性の違いこそがトラブル発生の根底にあるのです。
それでも、各自がそれぞれ他者への尊重や配慮を重視し、自らの主張・行動を制限し他者の行動を容認する等の譲歩を徹底できるというのであれば争い自体は起こりにくいでしょうが、残念ながらそれには限界があるでしょう。ほぼ大半の方が自身の生活こそ第一と考えるでしょうし、そう考えるのはむしろ自然なことだからです。
こうして、マンションという居住形態における居住者各々の特性や考え方の相違は、何かの問題が生じたときにそのままトラブル発生の引き金となり得るのです。

管理組合の役割とは

マンション運営では、管理組合は運営主体として居住者の様々な意見の対立や衝突を調整するという難しい舵取りを迫られる場面に多く遭遇するでしょう。
こうした場面で、本来意思決定機関である管理組合はどういった役割を有するでしょうか。
ところで、私が良くマンション相談を受ける際に感じるのは、かなり多くの方が「居住するマンションの管理は管理会社がやってくれるから心配ない」という認識をもっている点です。
これは一面では正しい認識ですが、主要な点で誤りを含んでいます。
それは何といっても、この認識の中には、居住するマンション管理・運営は自分達一人一人が担っているという最も基本的な視点が欠如している点にあります。
管理会社は確かに管理を引き受けてくれますし、サポートもします。
しかし、「そのマンションに関するすべての事項」を決定し、それについて最終的な責任を負うのは、結局、個々の区分建物の所有者であるはずです。
こう考えれば、管理組合の構成員である区分所有者の意思を取りまとめ、定まった決定事項に基づき実際のマンション運営を行う管理組合の存在と役割の重要性がより明らかになるでしょう。

マンションという建物こそ財産ではあっても、その管理・運営の担い手は人なのですから、結局、人同士の関係なくして物の管理維持などおよそ不可能…、要するにマンション管理問題は、マンションという資産を介した対人関係の問題といえるのです。
こうして私自身も、管理組合様からご依頼をいただく業務は、マンションという対不動産ではなく、人に対するビジネスという認識を常に有しながら取り組んでいます。

強い管理組合とは

「あのマンションは管理組合が強い」という表現を聞いたことがありませんか。
行政とのパイプが太く管理組合は強い、とか、管理組合が強いから反社会勢力を寄せ付けない、等という例で語られる場合もあるかと思います。
では、この「強い管理組合」という表現はどのような存在をいい表すのでしょうか。
理事長が元格闘家であるとか、居住者に屈強な方が多いから、ということを示すわけではないことは容易に想像できます。

私は、“強い”といわれる最大の要因は、「このマンションに関する問題は居住者全員で取り組み、解決すべき」という意識がマンション全体で共有・徹底できている点にある、と考えています。
人は何か問題が起きた際、その対処にどうしても及び腰になり、ときには人に任せて事を済ませたいと考えがちですし、このこと自体は誰にでもあることで否定はできません。
しかし、これがマンションの居住環境に関わる問題であれば、問題を放置すればますますマンションの居住空間が侵され、結局は居住者全員に不利益をもたらすことになってしまいます。
こうした問題意識を共有するメンバーで構成する管理組合が全員で責任や負担を分担し合いながら、絶えず問題解決に乗り出して行けるような構造があれば、起こり得る問題は比較的早期に解決をもたらし、また、その解決場面で一役買った管理組合にも一定の実績という権威(authority)が与えられることになるでしょう。
これが強い管理組合のメカニズムであると私は考えています。

繰り返しになりますが、「強い管理組合」とはすなわち、構成員全体の居住空間への問題意識が高く、その意識を居住者全員で共有・徹底しつつ問題解決に導ける管理組合、と定義できるかと思います。

理事を引き受けたなら

「理事・監事等の役員を引き受けてしまいどうしたらいいか…」という内容の相談は大変多くあります。
大抵は、「素人で経験もなく何をしたら良いか分からないのに輪番で回ってきた」「押し付けられ断りきれなかった」…概ね共通する内容です。
まず、誤解を解きたいのが、管理組合の理事・監事等の役員になる方の大半がマンション運営の素人であり、これに精通した方の就任などはまだまだレアなケースである、という点です。
皆がそれぞれ素人であるからこそ、役員はそれぞれの社会経験で得た知識や経験をもとに各自意見を出し合い議論し、理事会ひいては管理組合の運営を担う…このことが実は自分たちの居住するマンションを運営する上で極めて有意義なことなのです。
私が良くアドバイスとして行うのは、「どうせ引き受けたのなら、いっそのこと活動を思い切り楽しんでみてはどうか」という提案です。

たとえば、ある理事会がお茶飲み話に終始する集まりだった場合、参加を無意味に感じられるかもしれません。
ところが、それはそれでコミュニケーションの高まりにはつながりますし、情報交換の場面としても機能するはずですから、決して軽視はできません。
そして、集まり自体が無駄にならないようにサポートするのが我々マンション管理士や管理業者の業務なのですから、分からない点や判断に迷う事項はその都度尋ねて不明点を解消する等、これらの専門家をどんどん活用し、1回ごとの集まりのクオリティを徐々に高めていくようにすれば良いのです。

重要なことは、「自分が今、何に参画していて、その結果としてどんなことができるのか」というイメージを明確にもって、毎回の集いに参加していくことです。
このように参加者にイメージを与え、取組み意識を高め助力することも我々プロがなすべき職務の一つですから、不明点や疑問点があることに少しも臆する必要などございません。

管理は資産の裏返し

マンションは大変高価な不動産です。
自ら大金を支払いあるいは長期のローンを組み購入した資産であるマンションが、きちんと維持・運営されないまま荒廃し資産価値が目減りしていく…などという現実は誰しも受け入れ難いでしょう。
これまで、マンション管理・運営は人の集合体の手によりなされるという点を明らかにしながら管理や管理組合の重要性を述べてきましたが、それらの根底に「管理する意識」の重要性があることがお分かりいただけたかと思います。
この意識こそ、結局のところ「自らの資産の価値を守る意識」ということに他ならないのです。
そう考えると、「管理は資産の裏返し」あるいは「管理こそ資産そのもの」と言い換えても良いでしょう。
この段階で、冒頭に述べた「マンションは管理を買え」という言葉の本当の意味がご理解いただけたのではないでしょうか。